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エルドラド 半世紀の歩み
キャデラック最初のエルドラド:黄金の時代の始まり

エルドラドは、スペイン語で黄金郷という意味ですが、これは16世紀のスペインのコンキスタドール(征服者)の時代に遡り、南アメリカに有ると信じられている伝説の地“黄金で出来た町”を意味します。エルドラドとは新世界への大遠征にヨーロッパ人を駆り立てたことを暗示していますが、現代ではこの言葉は、けた違いの豊かさを意味しています。

1953年にキャデラックの超ラグジュアリーコンバーチブルの導入にあたってのネーミングコンテストで、キャデラック商品計画部長よりこの名前が最適であると判断され、新型車の名称として採用されました。

ドワイト・D・ アイゼンハワー大統領が、1953年1月の大統領就任演説のパレードに、エルドラドに乗って現れる前から、キャデラックのスタンダード・オブ・ザ・ワールドを表現する為に、“スーパーカー”を造るべきだというアイデアがありました。実際この考え方は1920年代までさかのぼり、後のキャデラックモーターディビジョンの社長兼ゼネラルマネージャーのローレンス・P・フィッシャー・ジュニアが、最もパワフルで先進的な車両の開発計画を認可しています。

その結果としてV12エンジン搭載シリーズ452キャデラックが完成しましたが、不運にもその発表が1929年の株価下落に始まる大恐慌の直後であったため、販売結果は芳しいものでは有りませんでした。

第2次大戦後、キャデラックのスタイリングを身にまとったラグジュアリーでパワフルな車両の開発をもう一度トライするチャンスがめぐってきました。第2次世界大戦の戦闘機ロッキードP-38ライトニング双胴型ツインエンジンの形から、キャデラックは1948年型新型車のリアボディーにテールフィンを作りこんだのです。

1948-49年型キャデラックの相次ぐヒットで、GMのデザイナーは、ショーカーシリーズにバリエーションを加え、GMモトラマショーとして、全国各地で一般展示を行いました。このシリーズで好評だったのが、1953年型キャデラック オルレアン コンセプトカーで、4ドアピラーレス構造の最初の車です。ドアはセンターピラーのところで前ドアと後ドアが合わさる観音開きで、フロントウィンドーに曲面ガラスを採用、大きくまわりこんだ形状は、ハーリー・アールが昔から唱えていた形状です。もう1車種が、ウルトララグジャリー2シーターコンバーチブル1953年型キャデラック ルマン ショーカーでした。同モデルはドアのウエストラインを下げ、ヘッドランプフードを採用し、オルレアン同様スポーティな曲面フロントウィンドーを採用していました。

これらの1948-49年型キャデラックや、53年型オルレアン、そしてルマンショーカーは、必ずしも最初のエルドラドにそのまま結びつくものではありませんでしたが、最初の生産仕様エルドラドは、ショーカーと同様の環境で開発され、1953年モトラマショーで米国各地をまわったのです。従って、キャデラックのショールームに展示されている1953年型新型エルドラドを見ることは、まるでショ-カーを見ているようなものでしたが、ショーカーと異なることはそれが一般の人が買える車だったことなのです。

“スペシャル スポーツ コンバーチブル”としてデザインされ、アールのまわり込んだウィンドーシールドを生産仕様に取り込んだ最初のエルドラドは、ウルトララグジュアリーセグメントの手作りコンバーチブルの限定生産車でした。 このドリームカーを市販車にまとめ上げる担当にアールが指名したのが、1951-57年までキャデラックスタジオのチーフデザイナーであったエド・グロワッケでした。彼はTV番組“ミルトンバールショー”にレギュラー出演していた豊満なバストのブロンド女優の名前を取った“ダグマー”バンパーの開発者として知られているデザイナーです。1953年型エルドラドの独特なプレスライン、ベルトラインがリアドアに向かって低くなり傾斜している“ドロップド”ドアデザインの採用により、長くて、低い、独特なスタイルを作り出しました。実際にシリーズ62キャデラックと比べると、3-4インチ低いデザインとなっております。

新型エルドラドはそのボディーサイズ、パワーと豪華さが“アメリカンスポーツカーの要件を全て満たす車”としてキャデラックが開発した車です。全幅80インチ以上(2,030mm)のワイドボディが、フロントシートのヒップルームを63インチ(1,600mm)まで広げることを可能にしました。リヤシートは、51インチ(1,295mm)、豪華なアームレスト付き、フロントのシートバックの形状に窪みを付けて、リヤのレッグルームを更に拡大しました。

この大きな光り輝くクルーザーは、コンバーチブル仕様、この時代では最大出力の210馬力V8エンジンを搭載していました。スムーズなシフトを可能にしたGMハイドラマチックオートマチックトランスミッション、パワーステアリング、ウインドーシールドウォッシャー、ヒーターと交換可能なオイルフィルターなどを装備、最後の3項目は、今日では当たり前の標準装備ですが、当時は、快適で便利なラグジュアリー装備と考えられていました。この初代エルドラドには、ホワイトウォールタイヤ、クロムメッキワイヤホイール、ビルトインフォッグランプ、ライセンスプレートフレーム、運転席助手席バニティミラーおよびサイドビューミラー等を装着していました。

1953年型エルドラドの豪華なプリーツ入りレザーインテリアは、3色のソリッドカラーと3組のツートーンを設定、レザールックのステアリングホイールハンドグリップも内装色に合わせています。時計とシーク機能とプリセット付きラジオを装備していました。ルーフをオープンにした時に、折畳んだコンバーチブルトップは、メタル トノ カバーの下に収納できます。なお、コンバーチブルトップは黒または白のアクリル製のゴムで防水処理を施してありました。ユーザーは、12色のエクステリアカラーを選べましたが、1953年に生産・販売された532台のエルドラドの大半は、アズテックレッド、アスールブルー、アルパインホワイトそしてホワイトインサート入りブラックの4色の特別塗装色モデルであったと記録されています。

この特別なウルトララグジュアリーコンバーチブルの価格は、7,750ドルという、戦後のGM車のどのモデルよりも高価なものでした。しかし初代エルドラド導入の狙いは、“ハローエフェクト”をキャデラック全体に及ぼすことにあり、“金の車”を見に人々がショールームを訪れることにありました。初代エルドラドは、ラグジュアリーカーマーケットのリーダーとして、キャデラックブランド全体のラグジュアリー市場における地位の確立の出発でもあったのです。
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