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キャデラックの成功は、車の製造ビジネスという面で捉えたあらゆる要素を勘案しても、デザインの役割によるところが非常に大きいと言えるでしょう。もちろん先進技術をいち早く実用化し画期的な新機能を持ったニューモデルを継続して投入してきたことや品質に対する賞の獲得、またお客様の満足を提供する販売マーケティングの実行等がキャデラックの成功に寄与してきましたが、これらの実績より、はるかに大きくキャデラックの永い輝かしい歴史と栄光に貢献したのが、スタイルです。


ハーリー・アール 1920年代の後半からキャデラックは、"スタンダード オブ ザ ワールド"として、デザインとエンジニアリングで名を知られるようになりました。その後少しづつ目標ターゲットを高め、それを実現する努力を継続することにより評価を高め、ラグジュアリーカーセグメントで多年にわたりリーダーとしての地位を占め続けてきました。キャデラックが自動車市場でリーダーシップを発揮したのは、スタイリングによるところが大であると、歴史学者も認めるところですが、デザインを取り仕切った中心人物は、カリフォルニア生まれのハーリー・アールであります。

ハーリー・アールはハリウッド郊外で、父親の馬車の製造を手伝いながら車に興味を覚え、ついに彼は家業を"栄光のホットロッドショップ"に替え、カスタムカーの設計製造を始め、世界的にも名が知られるようになりました。当時のGM会長であったアルフレッド・スローンとキャデラックのゼネラルマネージャーのローレンス・P・フィッシャーが、新興のパッカードといかに競合していくかを討議し、流れるような先進のスタイリングを重視すべきとの結論に達しました。そしてアールがデトロイトに招かれラサールのデザインを担当することになりました。金属や木材を使わず粘土でモデルを作る先進の技法から生まれた、低く、長く、一体感のあるデザインは、たちまちフィッシャーを虜にしてしまったのです。彼のデザインによる1927年型ラサールは大ヒットし、彼のGMでのキャリアは、後のGMデザイン部門の起源となる新設の"アート アンド カラー"部の若きリーダーとして始まったのです。


後にフィッシャーは"スーパーカー"の生産により、ラグジュアリーマーケットでの競争に打ち勝つ戦略を考え出しました。この戦略に対応しアールがデザインしたV16シリーズ452キャデラックは栄光の車と評されましたが、1929年の株価下落による世界大恐慌の悲運に見舞われてしまいました。アールは、カーデザインは自動車の製造過程の一部ととらえており、キャデラックのデザインに対する彼の影響は彼が1958年に引退するまで継続したのです。

アールが最も才能を高く評価した部下は、1935年にアールが採用したビル・ミッチェルです。アールの監督のもとでミッチェルは1938年型キャデラック シックスティ スペシャルをデザイン、1936年から第2次世界大戦時までアールの後をついでデザイン担当副社長となりました。アールが育てたもう一人の若きデザイナーは、フランクリン・Q・ハーシェーで、ポンティアックのデザインを担当した後、第2次世界大戦後のGMのデザイン部門のトップを歴任しました。(後にハーシェーはフォードへ移籍し、サンダーバードをはじめとする1954年から1957年のフォードのデザイン担当を務めました。)ハーシェーのキャデラックでの名声はなんといっても、あの画期的な1948年型キャデラックのテールフィンです。このテールフィンは、第2次世界大戦の双胴、ツインエンジンの戦闘機ロッキードP38ライトニングの垂直尾翼をイメージしたもので、50年代アメリカのすばらしいカーデザインの象徴となったのです。
アールはモトラマと名づけたコンセプトカーと生産モデルのモーターショーを、全米各地をツアーしながら開催、車を購入しようとする人達をわくわくさせる新しい手法を生み出しました。アールのモトラマショーは、自動車ユーザーのみならず、GMのデザイナーにとっても、良い結果をもたらしました。アールは新開発の曲面ウィンドーシールドガラスとピラーレスハードトップをモトラマショーカーに採用しようとし、他のデザイナーも自身のフレッシュなアイデアと才能をキャデラック車に表現しようと数々の提案を行う等、モトラマがカーデザインの活性化に多大の貢献を果たしたのです。エド・グロワッケもこのような提案者の一人で、彼は後にアールのもとで1951年から57年までキャデラックスタジオのリーダーとして、1953年型の新型エルドラドの開発に深くかかわりました。

数々の画期的な車のデザインに貢献した人達を紹介しましょう。 1957年型エルドラド ブロアムのプリンシパル デザイナーのボブ・シールク、そしてチームを組んでいたデービッド・R・ホールズは1959年型のキャデラックをデザインし、共に1950年代のアメリカのカースタイリングの確立を行ったと言えます。ジェット機やロケットのイメージから、テールフィンのついた59年型キャデラックはアメリカの文化の象徴でした。またホールズは、セビルの成功の原動力となったデザインで多大な貢献を果たしました。

1959年にキャデラックは、ヨーロッパの新しいデザインの導入を求めて、イタリアのコーチビルダーのピニンファリーナと提携しアランテの開発を行いました。この時まだ若いチャック・ジョーダンは、エド・グロワッケのもとでデザインを担当、エド自身もビル・ミッチェルのアシスタントでした。ジョーダンは1960年代のキャデラックのデザインに優雅さや上品さを求めるべきだと考えており、この次期に大きなテールフィンは姿を消していきました。後にジョーダンは前輪駆動の67年型エルドラドのスタイリングの指揮を、後の後任者スタン・ パーカーと共に行いました。スタン・パーカーは1970年代から80年代のダウンサイジングに当たってのデザインを担当しました。

ウエイン・カディが1974年にキャデラックのデザインスタジオのチーフデザイナーになった時も、スタイリングは依然として車両開発におけるプライオリティの中で重要な位置を占めていました。先進のデザインにかかわっている時でも、スタジオのスタイリストはリスクを恐れ動揺することはありませんでした。1980年型の"バッスルバック"セビルがその好例といえます。1986年にディック・ルッツインがチーフデザイナーに就任した時、新世代キャデラックの全モデルが既に製図板の上にあったのです。

キャデラックは新しい100年に向かって、デザイン上のリーダーとしての伝統を堅持していきます。ハーリー・アールが3/4世紀前にカーデザインをアートの領域まで高めたのと同様の情熱を持って、次世代のキャデラックのスタイリングを推進します。
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